ぱぴぷぺぽきぷし通信 日記

過去関心 Poughkeepsie の日記

縮景園の原爆慰霊碑

ほんとうは町全体が慰霊碑なんだなと今更ながら思った。

3日前、母と縮景園に行く。

蒸し暑さにたまらず、池を望む四阿の日陰へと逃げ込む。

私はふと思いだし、先日見た1988年製作「夏服の少女」NHKアーカイブス"の話をする。(6月6日の日記)

2学年上だったから学徒動員で呉にいて難を逃れた母。

「あの日たまたま廣島におって死んじゃった人。出とって助かった人。いろんなドラマが、いっぱいあるんよ…」

縮景園も焼け野原になったのは写真で知っていた。が、園の京橋川そばに慰霊碑がひっそりと建っているのは知らなかった。水を求めて逃げ込んで死んでいった人々が祀られていた。埋葬されていたのが発見された跡だそうだ。

それを夜、父に話す。

「牛田公園にもつくるべきよ。どこにでもいたるところよ。みんな焼いたんじゃけぇ」

二十日後死んだ祖父を、祖母と父とで焼いたそうだ。薪を集めるのにも辛苦した話は以前にも書いた。その気持ちは推測できても到底わかる事は出来ないと思った。

しかし、60年後の今となってはそれも到底無理な話のようだ。

なにかで読んだが、今では句碑を建てるのでさえ住民反対運動が起きるそうな。地価が下がると言って…

実に人口の約8割が亡くなったそうだ。

だから、廣島の人なら無関係な人などいようはずもないのに。

縮景園の原爆慰霊碑の画像