ぱぴぷぺぽきぷし通信 日記

過去関心 Poughkeepsie の日記

' Be quiet, big boys don't cry '

先週末、蛍を見てきた

家人の実家は少し遠いのだけれど

主のいなくなった家の風通しに出かける彼女についていっての恒例行事

県道から少し入った近くの小川まわりは田んぼと山間の森の木々にカジカの大合唱

以前、亡き義父に誘われ探しにいった頃はか弱い光がほんの数匹だった

最近は幼虫の餌となるカワニナの放流や川の清掃などの活動がされてるというし

下水の整備や田んぼの減薬のおかげもあるのではないかしら

ちょっとした「乱舞」といっていいほどの勢いだ

集団の光る周期は申し合わせたかのように合っていてながらも微妙にずれているようで不思議

川面近くというよりむしろ高い木々の合間の光はふいに上下して見ていて飽くことがない

と、茂る森になにやら光るもの二つ

鋭い鳴声にびっくり

鹿だろう、山から流れこむ水流を飲みに来てたのかな

「こっちの水は甘~いぞ♬」

(絵はイメージです)

 ' I'm Not in Love '

 (台詞

' Be quiet, big boys don't cry 'の画像

「方向幕」

桜のさかりの頃の川土手はまだ朝夕風が冷たかったがもうすっかりいい陽気

ツバメも飛び交うそんな通勤路の帰り道、陽がのびてまだ明るいうちに帰れる幸せよ

と出会ったバスの表示に思わず笑ってしまった

 「すみません回送中です」

腰を低くして走るのが流行ってるのか?

因みに「すみません」の部分は「回送中です」の2/3程度のサイズ

電光掲示ではなく印刷物、「方向幕」というらしい

あ、フォントは丸ゴシックね

でもって宮崎には「すんません」版があるらしい

古い広島弁丸出しならさしずめ「すまんのぉ回送中じゃけ」か?

画は拾ってきました

 ' Good Vibrations '

  仕事帰り(不法就労/笑)夜の Route101 を思い出す 1990年頃もう大昔だな

  リバイバルだったのか? なぜかよくかかってた

   懐メロPOPSのメイキングもの番組 SONG TO SOULBS-TBS 水曜23時~ )

   やっほ 5/6は キンクス 5/27は ジェイムズ・ブラウン ですぜ

   http://www.bs-tbs.co.jp/songtosoul/...

「方向幕」の画像

「そしておれはもうこれでいいと思った。」

「武蔵」が遥か遠く南海は一千米の海底で発見されたという。

そのニュースの端にこの文章を発見し、抄ではあるが一気に読んだ。

口の中に血糊と潮と重油の味がする。

「この一編を、

北緯一二度五〇分、東経一二二度三五分、

水深一三〇〇メートルの

海底に眠る戦艦武蔵の戦友にささげる。」

 http://www.japanpen.or.jp/...

 作 渡辺清

  (父と同い年だ)

自家撞着

ワタクシソノモノ 入所以来、一日中限られた屋内での生活だからか、左足首が腫れて歩くのもおぼつかなくなり心配だった母だが リハビリのお陰か最近スッキリしてきた 以前の靴を洗い替えに持って行ったら、履けるようになり足取りもかなり回復して一安心 インフルエンザ流行に伴い母の施設も面会禁止になる直前、間に合って良かった    ' Musica Nuda '  本国伊国はもとより隣国仏国でも人気のデュオなのだとか  こんな洒落たユニットならライブで聴いてみたいもの♬   https://www.youtube.com/watch?...   https://www.youtube.com/watch?...   https://www.youtube.com/watch?...   https://www.youtube.com/watch?...   https://www.youtube.com/watch?...    おまけ    https://www.youtube.com/watch?...    可憐な本家>' Non ho l'età ' 自家撞着の画像

願い

思いついた時の週末は母のところへ

例によって持ち込んである古いアルバムを一緒に見ながらひと時を過ごす

好きな書道の先生のところでの写真らしい

書と彼女の練習風景が写し込まれたものに目がとまる

が、その文字が読めない自分が哀しい

「端居楽清?」

いつもならすらすら意味を解説してくれる母だがこれには覚えがないらしい

浅学な私には「端居」=普段・平生の意味くらいしか調べられなかった

そんなアルバムの写真と写真の間に、橙色のクレヨンでなにやら書き連ねてありどきっとする・・・

 「○子(母の名)のお願い」

 「むかえに来てください!」

 「早く!早く!早く!」

夜一人になると不安に駆られるようだ

無理もない

家族はだれもそこには居ないのだから

おそらく大好きだった実父に宛てた心の叫びだ

「なんで私はここにおるんかね?(居る)」

最近よくこの言葉を口にするようになった

「あのねお母さんはね夜中ひとりで何処かへ出かけて行ってしまって帰れんようになるけぇね

おんなじような人同士でね一緒におるんがええんよ」

「そうなんよ帰り道がわからんようになるんよ」

「そうじゃろいつもは大抵スーパーのところにおるけぇ夜中におとうちゃん(亡夫)が迎えに行きよったんよ」

「そうねぇ」

「寂しい時はねKちゃーん(私)お父さーん(実父)てねこの窓からおらぶんよ(叫ぶ)」

どうも今の彼女の中には亡夫は存在していない様子・・・

途端に胸が詰まって涙した

はばかることはない

彼女の居室に人の目はない

母と私の二人だけの世界なのだから

  ' Left Alone ' Mal Waldron

  肝心の作詞者のビリー・ホリデイの録音がないとは知らなかった

  代替品

  https://www.youtube.com/watch?...

  映画の出来は酷かったけど曲はよろし

  マリーン、編曲者共に頑張ってます

  大好きなE・ドルフィ版

  https://www.youtube.com/watch?...

願いの画像

「自分免許」

もう一周忌かというのが実感

実際には八月八日なのだが諸般の事情により前倒しで本日無事執り行なった

よく、逝った実感がわかないと聞くけど本当ですね

死んでもうこの世には居なくって、会えるのは記憶の中だけなのは判っているのに

が、一周忌とはよくしたもので、ここに来てやっと「あぁもういないんだ」なと感じるような出来事があった

というのも、先日外に連れ出そうと母のところに寄った時のこと

家族の古い写真を一切合財置いている理由は以前書いたが、ふと例のアルバムが目に入ったので、ぱらりとめくった際、父にしては希少な満面の笑顔が目に入った

遺影に選んだそれは、これまで「よくぞこんないい笑顔が撮れたな」くらいにしか思わなかったのに、今回突如胸にこみ上げるものがあり、涙が止まらない

哀しみの深さは故人からかけられた愛情の深さによるらしい

しばらく母の居室で一人気を静め、やっと彼女と家人が待つエレベーター前へ

戻りが遅い訳は、泣きはらした眼もとで家人は解ってくれていた

よく映画やTVドラマでは臨終に立ち会う場面が構成されるが、実際に立ち会えるのは稀だろう

そして家人曰く、それがもがき苦しむ姿だったりするとそれはもうとてもとても・・・辛くて見ていられなくって「どうか早く楽にしてやってくれと」

だから、立ち会えるのが幸せかどうかはひとそれぞれなのだと

とはいえ、やはり独りにしてごめん許してと思ってしまう

救いだったのは、ほんとうに眠るように逝ったと思えるような穏やかな顔だったこと

対岸の宮島の鳥居が望める絶好の病室だったので、楽しみにしていた「宮島の花火に間に合わなくて残念だったね」

さて、読経が終わり焼香も済み、住職の法話が始まった

亡き父はいつも本堂右端の時計の下あたりで元旦会の説教を聞いていたそうだ

そして不思議な言葉を聞いた

自分免許

てっきり誰かの造語だと思っていたら、辞書にのる言葉だと後で調べてわかった

「みんな自分こそが正しいとばかり、自分で自分の言動 ・行動に勝手に免許を与え許している」

確かに愛別離苦は辛いことだが、それを悲しんではならないとも

何故なら、善き人(うちは浄土真宗安芸門徒なのでサマリア人でなく仏さんつまり故人/笑)は、残した家族を見守り、正しい道へ導こうとしてくださっているからなのだと

「自分免許」の画像